サッカーを1チーム4人ぐらいに減らしてほしい
わたしは、たまにリアルスポーツ観戦(主に野球とモータースポーツ、以下モタスポ)をしている。しかしながら、観戦スタイルは他の人に比べるととてもいいかげんだと思っている。
以前、「ePARA」という、障害者eスポーツのメディアに、発達障害当事者として記事を寄稿した。趣旨はマイペース(つまりいいかげん)なゲームプレイスタイルの紹介を通して「全クリアやお手本のプレイが全てではない」ということ。
記事に記載されているわたしの「苦手なこと」を挙げる。
- 周りの状況を判断することが苦手
- ルールが細かく決まっていることにストレスがたまる
- ゲームをルール通りプレイするのに必死で、戦略まで気が回らない
寄稿した記事はこちらである。 epara.jp
話をリアルスポーツ観戦に戻すと、主な競技の理解力はこのような感じで、上に行くほど(いいかげんであっても)スムーズに観戦できるということである。(自身の競技への興味具合にも左右されていることは置いておいてほしい)
- モタスポ : ちょっとわかる、見れる
- 野球:ちょっとわかる、見れる
- バレーボール、バドミントン:なんとなくわかる、見れる
- サッカー:理解不能、見れない
上へ行くほどルールが煩雑である。ルールが煩雑だとストレスがたまるのに、モタスポと野球は、なぜ、理解力が上なのか。
大きな理由が「戦況が視覚的にわかる」こと。それが、わたしの観戦を助けている(理解するのには、時間がかかったが…)モタスポで言えば、周回数や、順位、各車のタイム、野球で言えば、得点やカウント、攻守どちらのチームかなど。
サッカーは、ルールは野球と比べると単純なのに、得点しかわからないので、混乱する。約20人の選手が、好き勝手(という言い方は適切ではないが、戦略の理解まで気が回らないのでそう見える)に動いているので、ボールを追いかけるだけで、手一杯になる。オフサイドも理解できていない。
なぜバレーボールが見れるのかを考えてみると、「1チームの人数が少ない」……ということは、サッカーも、1チーム4人ぐらいに減らしてくれたらいいのに。と考えていると思い出したことがある。
これは観戦ではなくプレイする方の話である。
小学校の体育の授業で、バスケットボールの「3on3」……つまり3対3で対戦する、という競技をやった。これがなんと、通知表で体育1のわたしが、なぜか競技に参加できたのだ。
チームメイトが上手い子ばかりだったなど運による要因はあるが、ちゃんとパスを回せる、敵チームのパスをカットできる、すくなくとも「邪魔をしない」ということができた。奇跡だ。きちんと理解してプレイしていたことを鮮明に覚えている。
これが通常の人数だと端の方でボールを追っているふりをしているだけだろう。と思ったのだ。敵味方がいすぎて、状況が判断できず、パニックになるからだ。(実際、頭は回っていなかった)
……ということで、FIFAさん、サッカーに1チーム4人ぐらいのカテゴリを作ってほしい。それだったら、4年に1度のオリンピックや、ワールドカップのお祭に参加できるはず!!
そういえば「フットサル」という5人ぐらいのサッカーの競技があった。フットサルはプレイする人は多いけれど、テレビで見るプロスポーツリーグってあるのかな。たぶん、観戦は、いいかげんになるけれど。
正しく心地よい言葉で伝える
奈良県民のくせに、わたしは播州のそうめん…商品名でいうと「揖保乃糸」を好んで食べる。 単純に、奈良の三輪そうめんとくらべて麺がガツッと太くて、食べたときの満足感があるからだ。
播州のそうめんは、業務スーパーかどこかで適当に手にとっていた。それはきっかけに過ぎず、以来わたしは播州のそうめんを「選択」している。 わたしが播州のそうめんばかり食べていたって、なんにもおかしくなんてない。
言葉だってそうであるはず、ではなかった。
わたしの話す方言のベースは「関西弁(正確には奈良弁)」である。 東京など他の場所に行っても標準語で話せないぐらい、しっかりと心身に根づいている。
ところが、友人や同僚、ラジオなどのパーソナリティが話す言葉がうつってしまうようで、それが心地よいとついつい使ってしまうようで、方言がごった煮となり、たまに「茶鏡さん、どこ出身?」と聞かれてしまう始末。
自分が自分にとって、心地の良いイントネーションやニュアンスを「選択」してとりいれて、「オレ弁」を作ってしまうのはおかしい?
……おかしいというか、自分はそれでよくても、言葉は「相手に伝わらない」リスクがある。「オレ弁」を通り越して「オレ語」になってしまったら、ややこしい。たまにわたしはほんとうに「オレ語」を作ってしまう。
日本語話者の相手に伝えるには、できるだけ正しい日本語を使い、なにより、読み手に合わせて、できるだけ心地よい言葉を「選択」する。
それがいまのわたしには、可及的速やかに必要な能力なのだ。 当たり前のことで恥ずかしいけれど、自分にとって心地よい言葉と、読み手にとって心地よい言葉は、ちがう。
そのために、わたしは新たに「 茶鏡のブログリターンズ 」を開設することにした。 広告が煩わしいが、スマホはもちろん、未検証だけど一応iPadで記事がかけるらしく、なにより管理が楽なので、はてなブログを3年ぶりを使ってみることにする。
ASD当事者のカラフル?なる日常や、高齢フリーター、芸術家としての暮らしを通して、考えや思いをアウトプットできる場にしていきたいと考えている